小さい頃から星が好きでした。いまはもう閉館になってしまった渋谷の五島プラネタリウムによく連れていかれて、単純に満天の星空はきれいだし、この宇宙はどうなっているのだろう、そんな疑問にわくわくしたし、自分の知らない難しそうな話にどきどきしました。 大きくなるにつれ、好きなことはいろいろ現れましたが、やっぱり天文学がやりたくて、受験勉強をして大学に入り、大学院を出ました。 小さい頃から人と違うことをするのが好きでした。自分のしらない世界にいってみたくて、外国の研究所に応募して、ドイツの研究員になりました。 初めての海外生活は大変でした。あまり何も考えていなかったのですが、単身、外国に渡って、しかも仕事をするというのは大変なことでした。体もあまり丈夫でないし、けっこう気も小さい。 まあでも、一年を過ぎた頃から友達もでき、価値観の違いを理解できて、緑と城に囲まれた優雅なヨーロッパ生活を楽しむことができるようになりました。 人とは貪欲なもので、三年も経つとそれにも飽き、帰国して国立天文台で働いていました。なんといっても日本での生活はラクで、そりゃまあ家族のこともあり、日本で就職しようと思っていましたが、オファーをくれたのはオーストラリア国立大学でした。期せずして今は首都キャンベラの荒野にそびえるストロムロ山天文台で働いています。 といっても、相変わらずコンピューターの中で銀河をつくっています。コンピューターという宇宙の中に、ガスと物理法則を投げこんで、どうやって星が生まれて銀河が生まれ進化してきたかを、観測と比較しながら明らかにする、というのが私の研究内容です。とくに「化学力学進化」という、銀河の中で生まれた星が死ぬ時に超新星爆発して重元素をまきちらすことで、銀河内部の組成分布が変わること、に着目しています。 天文学は実生活にはあまり役に立たない、明日の天気も隕石の衝突もわからないし、星占いとも関係がない。相対性理論の検証とか、素粒子物理とかにはつながるので、基礎物理としては貢献できますが。日本では、実際にモノをつくる、文明の利器として生活をラクにする、というのが科学の役割だと思われているところがあります。それ以外は小泉総理や石原都知事が切り捨てるところです。 私たちがどこから生まれてきてどこに行くのか、私たちの世界はどこまで広がっているのか、それを知りたいと思うのは人の常です。それを探究することこそが、人がこの世に生まれてきた意味ではないかと思います。人の世界は、知りえた分だけ、知ろうとする分だけ広がっている、天文学者がいる限り、我々の世界は無限に永遠に広がっていくのです。 地上には面倒なことがたくさんあります。理不尽なルール、不毛な気遣い、それから最近ふえた浅はかで突発的な暴力。生産性を重視した社会の結果だと、生活に無理矢理ゆとりを加えてもうまくはいかない。ゆとりを加えるべきなのは心です。たとえば、星のことを考えてがむしゃらに勉強する。 欧米の優雅な生活と比べても意味のないことです。日本には土地がないけれど、真面目で器用な民族で、それ相応の社会があります。古来より日本人は自然を愛しもののあはれを感じてきました。そうして見出した一縷の喜びを糧に、日本人は人一倍がんばることができるのです。それが人生を豊かにするということだと思います。 ひとつは人の心。それを美しく残酷に切り出したものが文学や演劇や音楽だと思います。私はそれも大好きです。物語の中で、壮大なときにささやかな、喜び、悲しみ、共感して笑い涙するとともに、それを紡いだ作者の存在にもまた感動したりします。 もうひとつは自然。 私は十年前に初めてオーロラをみて、その淡い緑色の優しい輝きと、ピンクに色づいて動く一瞬のドラマに魅せられ、毎春アラスカに通っていました。 最近はダイビングにはまっています。単純に水の流れに身を任せるのは気持ちがいいし、珊瑚礁に戯れる色とりどりの熱帯魚はきれいだし、沖縄、インド洋、紅海、海によって地形も魚もちがうから、飽きることがありません。 そして、自然に挑む人類の叡智? 人の知識がどこまで自然に追いつけるかというあくなき戦い。 それは私自身の楽しみなのでありますが、それだけではもったいないので、悪戦苦闘するユカイな姿から何かを得ていただけたらと、ネット上に日記を書いていました。しかし世の愚かな人々に失望し、自民党の圧勝や憲法九条の改正論に絶望し、ただ私がここにこうして生きていることを伝えたかったという当初の理由も喪失し、やめることにしました。 実際に見ずともよい、想像するだけでもいいのです。ちょっと思い出すだけで毎日が少し楽になるはず。嫌なことにムカついたり、怒って人を刺したり、哀しくて手首を切ったり、宗教にお金をつぎこんだり、そういうことはなくなるはず。こんにちは、私は、宇宙を研究しています。
2008.4.28 |