2005.4.23-25: ゲーテ街道走破!

4月23日(土)

これの詳細。イエナ Jena に天文の人がいたので、そこを足場に初・旧東ドイツ。やはりいろいろ怖いらしいので足場がないと。

がんばって朝8時半に起きたのだが、朝食のあと部屋の片づけをしていたら10時になってしまった。出がけに電話して「あの〜、これから出るんですが、どうやっていけばいいんですかぁ?」

Jena は高速9号を真っ直ぐ北上するだけなのだが、今回の目的はゲーテ街道(の西半分)走破なので、東の Fulda か Eisenach から攻めたい(Frankfurtには行きたくない)。

こないだ行ったBambergまでは高速73号で上がれるのだが、地図ではその先が点線になっている。つまり工事中か建設予定。そこから下道を通るより、一気に Jena まで上がってしまってから東に戻る方が早いか…。

わからないと言われたので後で決めることにする。家を出たのは11時。ガソリンを入れ、走り始めたのは11時半になっていた。昼までにはドイツの北半分にいたいと思っていたんだがなあ。

夏タイヤなので快調である。高速9号のこのあたりは、三車線でカーブもなく、ハンドルを持たなくていいくらい。アクセルをふみっぱなしにして、ステレオの音量をあげて、ハイテンション!

1時間で150キロ、Nuernbergまで来た。パーキングで止めて地図を広げる。さて、この先、どうしようか。

Bamberg まで快調に来て、さらに北 Coburg の標識がバーンと出ていたので、フラフラとそっちに行ってしまう。しかし高速道路は途切れ、国道で田舎を通り、Coburg の町中につっこみ、のろのろと Schleusingen まで来た。

白いヤマザクラが満開で、黄色い菜の花も開きはじめ、こういうところを走るのは私は好きである。高速道路ではアスファルトしか見えない。むしろ好んで国道を走る。一車線なのでときどき遅い車を対向車線に出て追い抜かねばならないのがちょっとストレスだが。

ドイツには路肩に寄せて早い車を先に行かせるという習慣が全くない。さすがヨーロッパいち傍若無人といわれるドイツ人。ドイツ語では「Ruchsichtlosskeit」後ろを見ることをしない、という。授業でこの単語きいてなるほど!と思った。

途中、ユーロマークのある関所のようなところを通り過ぎた。あとで考えたら、あれが旧東ドイツとの境界線だったのかもしれない。バイエルン州からチューリンゲン州へ。

すぐ北の Suuhl まで行けば高速73号で一気に西に行けるのだが、国道89号でのろのろと行く。北側の山に沿った道でなかなかよかった。高速は山のもっと北を走っている。だから斜めに行く最短ルートがないのだな。

ドイツの南は笑えるくらいずーっと真っ平らだが、真ん中へんには割と山があるのだな。電車や高速道路ではあまり気にならないが、国道だとそれがよくわかる。

Meiningen という町で国道19号にのれば、あとは一本道を北上してEisenachに着ける。その国道と交わる交差点で、いざ右折しようとしたら、パトカーがすーっとやってきて、前の前の車の間に横づけした。えーっ!、通行止め?

歩いてくる警官に訪ねると、そこを左折して迂回して行けと言われた。この交差点を右に曲がりたいのにーっ。ここを右に曲がるために、昼からずーっと走ってきたのに。

仕方がないので左に曲がる。とすると、地図で赤枠で囲ってある Elisabethenburg 城が見えるかもしれないぞ。

Herzogliches Palais

ほお。でもこれは Herzogliches Palais というらしい。なかなか綺麗な宮殿ではないか。ネットで調べても情報が出てこないが。

迂回路は山道で、川が通る町並みが綺麗に見えた。結構いい町かも。町も地球の歩き方には載っていないが。山を上るきったところで一時停止。木々のむこうに Elisabethenburg 城みえていた! Hoftheater 劇場もみえていた!

さっきの交差点(の反対側)で国道19号に出る。左折して、あとは一本道を北上するだけ!

3時には着きたいなあ…。4時には着きたいなあ…。アイゼナハ Eisenach では世界遺産の城が見たいのだけれど、そういえばツアーって何時までやってるんだ? 遅くとも5時には着かないとダメじゃん!

Eisenach が近づくと、山をどんどんあがり、森を抜けて、一気に下った。この山があるから城があるのだな。城は町の南側にある。町に入る前にまず城へ行こう。茶色の観光ポイント看板が出たのでそれに従う。

町の手前でほぼ逆方向に近くぐっと左折し、また別の山道を登る。少し走ると、見えた!かっこえ〜〜。中世の城!世界遺産!

ヴァルトブルグ Wartburg 城、Bergfried 塔

4時半、かなりぐるぐる登って駐車場に着いた。そこから城まで走る。写真を撮る余裕もない。坂道を、階段を、駆け上がり、チケット売り場に駆け込んだ。5時の最後の観覧ツアーで中に間に合った。ふーっ。一息ついて中庭写真。

中庭、南塔

5時から観覧ツアー最終回(6.5EURO)。解説は独語だが、ガイドのおねーさんがえらい親切で、日本語のパンフレット取ってきてくれた。すげえ日本語ヘンだけど。世界遺産なのに人が少なくて、ゆっくりじっくり見せてもらえていい。写真とっても怒られないし。

1067年、Ludwig den Springer が建造。 その息子ルートウィヒ髯侯が、1130年、皇帝ロタール2世により、チューリンゲン方伯に抜擢される。 12世紀後半には、ルートウィヒ2世が皇帝フリードリヒ1世の妹ユッタと結婚。 ルートウィヒ3世敬虔侯(方伯1172-1190)も皇帝を助けて第3回十字軍に参加して死亡。

13世紀、その後を継いだヘルマン1世のとき、ドイツ中世吟遊詩人の最高峰 Walther von der Vogelweide らがこのワルトブルク城を訪れて、長編叙情詩「ワルトブルクの歌合戦」が作られ、これが「タンホイザー」のもととなる。

13世紀初頭の方伯聖ルートウィヒ4世は、ハンガリー王の娘、聖エリザベートと結婚したが、皇帝フリードリヒ2世について第5回十字軍に参加して死去。ともに聖者と仰がれる。この地でエリザベートというと彼女のこと。

古い彫刻?とかの置かれた部屋でツアーが始まるのを待つ。最初は「騎士の間」、飾り気のないロマネスクの部屋。「食事の間」、動物を描いたタペストリー?があるほかは殺風景。

騎士の間

側廊(Ground Floor Arcade)を歩いて、「エリザベートの暖炉のある部屋」に入る。うわっ! 禁欲的な生活を送ったエリザベートだが、部屋は後に(1902-06)ガラスのモザイクで飾りたてられて金ピカゴージャス。それがロマネスクの形状ともマッチして。美しかーっ!!

モザイクはエリザベートの一生を描いている。1207年ハンガリー王家に生まれ、4歳でこの城に連れてこられる。14歳で方伯ルードヴィッヒ4世と結婚。夫は十字軍に出て、1227年にイタリアの海岸で死ぬ。彼女は子供と修道院に移り、1231年24歳で死亡。

描かれるシーンは、方伯の冠を放棄する、召使いに囲まれる、十字軍の船、子供たちと城を去る、など。暖炉の右に彼女の誕生を予言したハンガリーの魔術師クリングゾル(写真右端)。

ちなみにワーグナーの「タンホイザー」のヒロインの名前、「パルジファル」の魔術師の名前はこれに由来すると思われる。

ああもうすっごいきれい。ずっとここにいたい。けどやっぱり出された。

階段を上って礼拝堂。一度焼けて、左の壁画、6人の使徒、だけが残った。

十字架しかないけど、「プロテスタントもしくはカソリックのミサが行われる」とパンフレットには書いてある。どっちもありなのか?

礼拝堂

絵のいっぱい飾ってある廊下「エリザベート・ギャラリー」を通る。絵は「バラの奇跡」(城からパンを持ち出して飢えた人々に与えたら辺りがバラになった)、「遺体をかかげる」(死後4年の1236年に聖者に加えられる)など。

一番有名な「歌の間」。茶色の柱のステージと、「ワルトブルグの歌合戦伝説」の絵がある。

伝説によると、1206年、Walther von der Volgelweide や Wolfram von Eschenbach など、6人の歌手・詩人が集まって歌合戦をやった。始まる前に、敗者は絞首刑ということになったので、みな方伯ヘルマン1世を誉めちぎる歌を歌った。しかしオーストリアからきた Heinrich von Ofterdingen は自国の大公を称賛する歌を歌って、敗者になった。執行人 Stempfel が捕まえにくると、慈悲深い方伯夫人が一年の執行猶予を与えた。その間にハンガリーの魔術師クリングゾルを調停人として連れてきて、Ofterdingen は許されて戦いも終わった。

歌の間

舞台の下手の通路を抜けて、「方伯の部屋」。真ん中の柱に鷲の羽根と獅子がついてるらしー。周囲の絵はチューリンゲンの支配者たちの伝記。

方伯の部屋

また階段を上ると、最上階に「祝祭の間」。ひろーい。今夜はここでコンサートがあるらしく、椅子がだーっと並んでいて、奥まで入れなかった。

ドイツ人のおばちゃんに、チケット余ってるけどどう?ときかれたけど。この後、次の場所に行かないといけないんですぅ。

ノイシュバンシュタインの歌人の間はこの部屋をまねたらしい。あっちの方がシャンデリア豪華だけど。たしかに、天井の形とかそっくりだ!

祝祭の間

ガイドツアーはここで終わり。あとは博物館になっている所を通っておべんきょう。中世の武器とか財宝とか、ルターの伝記とか。そしていよいよ、ルターが新約聖書を翻訳した場所!

ま、私はルターあんまり好きじゃないけどね。なんか暴力的なんだもん。

教皇から送られた破門のおしらせを焼き捨てて、帝国追放処分をくらい、ザクセン選帝侯フリードリヒ3世賢公によってこの城にかくまわれた。チューリンゲンは、ルドウィング家は途絶えてザクセンの支配下になっていた。

疲れて悪魔をみて投げつけたインク瓶のしみがまだある、はず。

ルターの部屋

6時半、見終わった。コンサート客らしき人が集まってきている。

まだ追い出されなさそうなので、中庭の端にある白い南塔にあがる。城側は、井戸とか、もう一つの茶色の Bergfried 塔とか。一部工事中。反対側はずっと山と緑の濃い森。山の中腹に他にも城らしき建物がみえる。


南塔

井戸

Bergfried 塔

塔を降りると店屋は閉まっていて葉書買えなかった。私は観光地では必ず葉書を買って集めてるんだけどなあ。

7時、山を降りて Eisenach の町も見ておこう。広めの道を真っ直ぐ進んで適当な広場に路駐したらバッハの家の横だった。正面にバッハの像もある。少し歩いてルターの家に行く。ルター通りのとある家の窓にでっかく名探偵コナンの絵?セル画?発見。


バッハの家

バッハ像

ルターの家

マルクト広場に、市庁舎、教会。噴水の上の金の像はともかく、柱の下にまとわりついてるカメレオン?がちょっとヘン。下向きで水吐いてるし。


Rathaus 市庁舎

St. Georg 教会

噴水の像

遠回りして店屋が並ぶカール通りを歩き、元の場所に戻る。これだけかー、小さい町。途中、へんな男にじーと見られてダッシュしてしまった。ああやっぱ東こわい。

7時半、再び走り始める。ゲーテ街道、国道7号を東へ。暗くなる前に Jena に着きたいのだが。まだ100キロはあるよなあ。当初の予定では、その間にある町にもいくつか寄りたかったのだが。夏だし、ちょっとは北にきてるし、なんとかならないかしら?

Gother という町に近づくと坂道の上からへんな形の城の屋根が気になって、町に入ると出てきた城の看板にひかれてうっかり寄り道してしまう。途中でまたガソリン入れた。

建物は左右対称なのに屋根の形がちがーう。Friedenstein 城というらしい。

Friedenstein 城

はっ、とかやっている間にどんどん暗くなる! Erfurt の大聖堂もみたかったし、ゲーテの Waimar も見たかった。しかしもう真っ暗。

Waimar を過ぎた後は町灯りが途切れて、両脇が草地のようなところをひたすら走った。Jena に近づくと森になった。じきに抜けると、ゴールだ。

Jena に入ってからは、タワーを目印に町の中心へ。住所で探してもわからないので電話して迎えに来てもらう。10時着。ぱちぱち。ゲーテ街道(の西半分)走破! ベルリンまではさすがに行けない。

今日は何かイベントがあるのか、花火?爆竹?の音がして、ビール瓶もった若者がたわむれている。やっぱ東こわい。

ちょっぴり町観光。新旧入り乱れる、というか、ほとんど新しい町だった。プラネタリウムで有名なカールツァイスのある町である。タワーは赤い電飾、上はレストランで回るらしい。ショッピング街にプラネタリウムの置き物があった。

夕食はイタリアンと地元の黒ビール。南ドイツでは見たことない黒さだ。

4月24日(日)

今日は私のフォルクスワーゲン・ポロではなく、アルファロメオに走っていただく。 10時頃に出て、Dresden の町へ行く前に他の所に行こうということになり、私のカンでエルベ川沿いの Konigstein に行ってみる。「ザクセンのスイス」と呼ばれるあたりである。

高速を降りてから国道172号でさらに西へ、Pirna の町をすぎて、表示に従うと、Konigstein の駐車場に着いた。

降りるとすぐ城が見える。かっちょええ。軍事要塞!! これはここを選んで正解だった。なにげにドイツ最大の要塞らしい。

Konigstein 要塞

城に向かってちょっとした山道を上る。城に着いてからも、入り口に向かってぐるっと歩く。すげー、岩の上に要塞をおったててあるのだ。

Ravilin 門のところがチケット売場(5EURO)。中に入ると金色のメデューサの頭のある門。うわーバリバリ硬派だ。その先は木の跳ね橋。中に入ると急な坂道で、ひんやりとした石造り。もう何から何までバリバリだ。

坂道を上ると、地下鉄の出口みたいなところから地上に出られた。そこは別世界。ちょっとした森の合間に城っぽい建物や教会が立ち並ぶ。つーかこれ、思いっきり岩の上なんですけど。断崖絶壁の。

こんなものを作ったのは誰だ。神聖ローマ帝国の東辺境の猛者たち、ウェッティン家の方々だ。1589年、選帝侯クリスティアン1世が城の拡張を支持。強健王アウグスト2世もいた。彼はドレスデンでまた出てくるが、命名マッチョ。

その後、普仏戦争、第一次、第二次世界大戦でもwar camp prisonerとして、戦後もyouth reform campとして使われた。パンフレットが英語しかないんだけど。こえぇ。

1955年からミュージアムとして解放され、今の感じになったのは2000年とか2003年とからしい。だからガイドブックにもあまり載ってないのか。

敷地内には白いGarnison教会、黄色いFrederick城など、いろいろな建物があるが、まずはこの素晴しい景色を眺めつつ、一周しよう。


Garnison 教会

Friedrichsburg 城

眼前にエルベ川が蛇行する。ドイツ三大河川?のひとつ、ドナウ(イン川 Innsbruck、イザール川 Muenchen、レヒ川 Augsburg)やライン(マイン川 Wuerzburg、ネッカー川 Heidelberg)の支流はみてきたが、こいつはまだ見たことがなかった。わーい、エルベ川!

へんな形の岩山がいくつかある。地球の歩き方は奇岩とよんでいたが、おそらくこれが Koenigstein 王の石、王冠岩。この城の土台もこれなのだろう。天然の地形なのか?

その上に城壁をつくってあるもんで、覗きこむと絶壁♪ たーのしーなーっ。城壁はジグザクしていて、角のところに見張り台や鐘楼がある。城壁の周りの道は細く、内側は小高い丘になっている。これも軍事施設ならでは。

内部には他に、井戸のある建物、ワイン蔵などがある。井戸は152.5mで要塞の中でも2番目くらいに深いらしい。武器庫は草が敷きつめられた小高い丘の下の地下に隠れていた。武器の展示館もあり、ここで葉書を購入。

丘の上で子供たちがぎゃーと遊んでいる。観光名所というよりは、地元の人の公園という感じだ。

城はまだまだ広いようで、その中の観覧ツアーもあるのかしら? いくつか扉を開けようとしたけど、城壁の中というか地下部分には入れなかった。

てゆーかさー、まるで空に浮かぶ城なんだけどー、ちっともラピュタって感じしないんだよね。ロマンチックの破片もない。きれいなお部屋とかないのー?


井戸

ワイン蔵

3時、昼食は敷地内のレストランでドイツ料理。食べたいものがない…。鰊の酢漬けとか…、まあ、黒ビール。

やばい、もうこんな時間だ。本日のメインはドレスデンだったのに。その周辺にいくつかある小さな宮殿も制覇したかったのに。

ああ、でもこの近くにもう一つポイントがある。「ザクセンのスイスのハイライト、バスタイ橋」からの眺めがいいらしい。

Bastei は川の反対側なので、山を下りて川に沿って走ってから橋を渡り、Lilienstein の丘を、小さな村々と小さな城と草原を越えて走る。

Bastei どこー? 近くに来たなずなのだけれど、看板が出てこない。大きめなバスの停留所はあるがバスはなく店も閉まっていて情報は得られない。

諦めて帰ろうかと思ったが、もう一度、さっき引き換えした森の山道を先にいってみる。おっ、駐車車がでてきた、観光客もいる。尋ねると、ここから10分ほど歩いたところだという。着いたー。

そうしてやっとこ見た Bastei、これがびっくりだった。

このあたりは砂岩で、川に侵食されて変わった地形になっている。灰色の細長い岩がいくつも隆起している。水晶の山みたいに。

ここからも蛇行するエルベ川と、隣の王冠岩がみえて、遠景も素晴らしい。川はさっきより間近に見えるからもっといいかな。

岩の間に橋がかかり、迷路のように渡ったいろいろ歩けるようになっている。アスレチックみたいで楽しい。そこでロックライミングやってる二人組もいた。大砲というか石を投げる台をおいた場所もある。ようするにここも軍事施設。

ってかもう薄暗いじゃん。もう7時。今日はドレスデン観光の日だったのにー。教会とか城も見たかったのにーーー。

Dresdenに帰るのは標識を追うだけでいいので簡単だった。オペラ座前の広場に駐車。

うおーっ、オペラ座 Semperoper、Zwinger 宮殿、居城 Residenz、カトリック旧宮廷教会 Katholische Hofkirche。すごいよ、この広場!こんなエレガントな建物がずらり。

で、でも、もう中には入れない・・・

オペラ座 Semperoper

Semperoper (1838-41) は建築家のセンパー先生作。ドイツでなんかのCMにも使われてる、円形にせりだして見える、じつに美しい形。正面玄関上の円蓋のモザイクも綺麗だ。


Zwinger 宮殿

Zwinger 宮殿 (1732) の中庭と屋上には行けた。ペッペルマン先生の最高傑作。四角く囲んだ建物の真ん中に噴水、四方に特徴的な門がある。東から入ってきて、正面が王冠の門、左手の南側の門にはマイセンのカリヨンがある。

中は美術館・博物館になっている。北側はセンパー先生がルネッサンス様式で増築した (19c)。屋上にあがると、ギリシャちっくな彫刻がずらり。

そこから見下ろす小さな中にも噴水があって、みつけましたよ、ヘンな子を。鬼みたいな顔してるのに尻尾をキュートにくねらせ、上むいて水ふいてるし。

カトリック旧宮廷教会 居城 Residenz 君主の行列

左の Residenz はマッチョのだ。先の二つに比べて、このビミョーッな感じはどうだ。まずこの色合いがださい。ファザードもドイツの田舎家みたいだ。時計塔も高すぎてバランスが悪い。時計塔は101mで、町にこれより高いものを建ててはならぬと言ったらしい。

マッチョが。ザクセン選帝侯アウグスト2世 (1670-1733, 在位1694-1733)、ポーランド王としてはフリードリヒ・アウグスト1世。獅子のミルクを飲んで育ち、馬の蹄鉄も素手で折る。女にもてたかどうかはしらないが、子供360人。

もうみるからに汗臭そうで、私の好みの180度反対をいってます。

外壁にはマイセンのタイルに描かれた101mの壁画「君主の行列」。最後の方にいましたマッチョ、というかデブ! あーもードレスデンの印象が一気に悪くなった・・・

気を取り直してその右隣、カトリック旧宮廷教会、ザクセン州最大の教会建築。変わった感じだ。平ための屋根の上に78体の聖人像。中はどんなだろう?

その右隣、エルベ川沿いにブリューリュのテラス(18c)、要塞の跡につくった。ここからの眺めが素晴らしい。右手に連なる建物の2階につながっている。細い低木が規則的に並んでるとことか、いい感じ。

振り返ると、サンセットブルーの中、ライトアップされた教会が美しかった。

最後に町中に入って、Neumarkt 広場のフラウエン教会をみる。ドイツ最大のプロテスタント教会だったが、戦争で一夜にして破壊された。1994年から始まった再建では、瓦礫の中からもとの石を拾い出して組み立てている。

その執念というか、プライドというかが、戦争の悲惨さを伝えるとともに、涙を流さずにはいられない、という人もいるらしい。いまのフラウエン教会はほとんどが白く新しい石で、拾ったってあれっぽっちかよ!とか私はつっこみを入れずにはいられない。

教会の形は、もうちょっとドームが大きい方がいいかなあ。まだ再建作業中で、なかなか中には入れないらしい。広場も工事中だった。

フラウエン教会

もうちょっと奥に市庁舎とか聖十字架教会とかあったのだが、見に行くの忘れた。観光地らしくレストラン街は多国籍料理で、和食もなんだしとフレンチにした。

Jena に帰り着いたのは午前2時だった。

4月25日(月)

昨日の夜、ガイドブックをみていたら、エアフルト大聖堂のステンドグラスは古く(14-15c)ていいと書いてあったので、やっぱり見たくなった。

ので、もう一度西に戻る。11時発でワイマールへ。高速4号も通っているが、各町からはちょっと離れているので、国道7号。

イエナの町を出るのに手間取り、国道のってからも分岐で間違える。時折、雨がふった。一昨日思った通り、イエナの西は森、そのあと畑が続いている。

ワイマールに入ると中心らきし方に向かい、橋を渡ったら大きな建物に出た。一時停止してここがどこか考える。Stadtschloss 市城 (1803) だ。ぐるっと回ってその前に路駐。ど真ん中は停められるかわからないので、ここから歩く。12時50分、ずいぶん時間がかかってしまった。

城は美術館になってるらしい。ちょっとのぞいたが、中庭は工事中だった。

城 Stadtschloss

まずはゲーテの家。先日、オペラ「ファウスト」にいたく感動した私としては。

公園に沿って南下して、Seifengasse を右に折れ、石畳の細道に入る。このへんにあるはずなのだが。人にきいたら細道を出て広場に面した所だった。が、今日は月曜日なので博物館の多くは定休日。中が見られなーい。

ゲーテの家

ま、いっか。次、リストの家。Marienstr をさらに南下、バウハウス大学、このあたりを左にちょっと入ったところなのだが。あれえ? ない、ない。あった、これか。本の写真と色合いが違うからわからなかった。

リストの家

次、シラーの家。大学の前を通って、Amalienstr に出る。煉瓦造りの先史博物館を過ぎ、ゲーテの家に戻る。ここから中心部に入る。

商店街になってる Schillerstr を進んで、右に折れると、あったー。博物館はあいているが、面倒だし時間もないので割愛。売店を物色したが欲しいものはなかった。

シラーの家

私が欲しいのはあれよ、あれ。「ファウスト」の原書! 商店街を戻りつつ、本屋をのぞくがどこにあるのかわからない。ワイマールだからってゲーテが山積みってわけではないのね。ゲーテの解説本は山積みになってたが。

土産物屋っぽい本屋で原書かどうかわからないけど、読みやすそうなドイツ語版があったので、それを購入。今回の旅行の目的は達成した!

商店街を北に進むと突き当たりにオレンジ色の Wittums 宮殿。ちょっと左に折れた先が劇場広場だ。

国民劇場 Nationaltheater (1907)、「ウィリアム・テル」「ファウスト」の初演の地。1919年にワイマール憲法が採択されたものここ。

前にゲーテとシラーの銅像が仲良く並んでいる。肩に手とかかけちゃってさ。あれ、シラーって若い美形だったんだよな。このおっさん、もしや・・・若い女にも超いっぱい手つけてるくせにぃ。

国民劇場

東方向に細い道を抜けて、市庁舎のある広場に出る。かわいい感じの建物だ。時計は金文字。向かいの建物のインフォで地図をもらう。もうほとんど終わってるけど。ほんとはここからスタートすべきなのね。

市庁舎

おっとインフォの隣はクラーナハの家だったのね。美術は守備範囲外なのでとばしちまった。

広場の屋台でチューリンガーサンドを買って昼ごはんとする。ドイツでは土地の名前に er をつけると、地ソーセージの名前になる。ニュルンベルグはニュルンベルガー、レーゲンスブルクはレーゲンスブルガー、そしてここチューリンゲンはチューリンガー。

チューリンガーは他のより大きく太めで、なかなかおいしかった。どの味がどう違うかは思い出せないけどな。

最後に St. Peter und Paul 通称 Helder 教会 (1498-1500)。1EURO払って中に入る。ドイツの画家クラーナハ親子の祭壇画がある。

St. Peter und Paul (Helder) 教会

ワイマールは結構、団体観光客が多くて、人もいっぱいいた。社会科見学みたいな子供の集団もいたし。若い日本人カップルとかはほとんど見なかったけれど。

町としてはあんまり面白くないぞ。誰それの家に入ってないからかもしれないが。建築美術の大学あるのに、建物もあんまり。

2時発。また国道7号でエアフルト。これはチューリンゲン地方で一番大きな町だ。空港もある。

町に入る交差点で、中心と大聖堂の選択肢があって、うっかり中心の方に入ってしまった。大聖堂の方がすごく混んでいて、入れてもらうこともできなかった。車が入れない広場につきあたったので、路駐する。3時半。

広場へ。ひろーい。トラムが何本も通っている。煉瓦作りのでかい建物は市庁舎か? 現代的な彫刻がある。その向かいのとても古そうな建物は教会か? 右手にあるのは Kauffmann 教会。大型スーパー Karlstat、郵便局。

Anger広場

広場を左に突っきって大通りを進む。あれ? あれれ?

さっきの、アンガー広場だー!交通の要所。だからトラムがいっぱい。すると方向ちがうや。いまいるのは Anger 通りで、突き当たりの彫刻は Angerbrunnen。

小雨で傘をさしているし、歩きにくい。ぼーっとしてたらトラムにひかれそうになった。トラムが傘をかすめていった。

大聖堂へ急がねば、閉まってしまう。そもそもこれを見たくて西に戻ってきたようなものだ。地球の歩き方を確認。夏期は5時まで。ほっ。

Schloesserstr に出たいので右手に曲がる。壊れた教会の残骸みたいな、Barfuesser 教会を過ぎる。

Gera 川にかかる橋を渡る。しまった、有名なクレーマー橋は一本隣だが、まあ、ここから見ていいことにしよう。

やっと市庁舎 (1869-71 ネオゴシック)の広場に出た。これこれ。祝祭の間が見られるらしいが。その前にローラントの像 (1591)。みたみた。急げ急げ。

市庁舎

Markt 通りを急ぎ足で歩いて大聖堂 (742創建, 1154 ロマネスク, 1349-70 ゴシック) に着いた。かっちょえー!やっぱ大きい町の大聖堂はそれなりにすごいね。右隣のはSeveri 教会 (13c- 早期ゴシック)。

大聖堂、Severi 教会

教会の中へ、、、4時すぎでちょうど閉めているところだった。ちょっとだけ見せて!と一瞬だけ中に入って見させてもらう。広かった。うーでもよく見られなかったー。明日またおいでと言われても、今日帰るのです。。。

入って思わす後ろに向かって歩き出してしまい、あ、こっちじゃないや、と祭壇に戻ったのだが。あれってドイツ・ロマネスクのダブル内陣仕様だったからかなあ。

ステンドグラスもあったし、なんかよさげな像もあった。大聖堂の前で写真なんか撮ってないでダッシュして来ればよかった。それよか市庁舎まわらずに真っ直ぐ来ればよかった。トラムとか使って。おかしいなあ、時間確認したのに。

もう一度みると、夏期は5月からで今は4月。とほほ。なまじこれを確認しなければ…。そもそも最初の交差点を間違えなければ、大聖堂の真ん前に車で来られたのだ。

仕方ない。歩く気力もなくなって、トラムでアンガー広場に帰った。

Karlstat でパンとか水とかお菓子とか購入。食べながら帰ろ。

5時、走り始める。帰りは高速4号にのって、イエナから9号、412km。高速道路の入り口は町からだいぶ離れていて、渋滞して、ちょっと時間かかった。

イエナの分岐はイエナの町を過ぎた先にある。高速9号をミュンヘン方向。逆に行くとベルリンに行ってしまう。

ゲーテ街道のあるあたりは東西に割と平らだが、それより南はやはり山だ。高速道路は平らに作ってあるけれど、両脇に山を削った跡が続いている。

Frankfurtwald のあたりで一時間休憩。このへんは森だ。窓辺に座って、カプチーノのみつつ、少し読み残してた『明暗』読了。

これって、話の流れ的に、ずっと津田さんは美形だろうなと思っていて、痔の治療してるけど、美形に違いないと思っていて、後半、温泉に行ってからさらっと「美形でした、あたりまえじゃん」って出てくるのがすごい。そうでした!漱石先生!

「眼」のとこがいいなあ!

岩波文庫のよいところはこれで解説が大江健三郎だったりすることだ。ふーむ、えー、「微笑」エンディングなのー。とすると、、、病苦に追われた漱石が、即天去私とかわけわかんないこといいつつ、「それ」を書こうとしていたのだとすると、、、たしかに素晴しく素敵なことだ。皮肉にも、則天去私の真の意味は我々の想像力に託されることとなる。

リフレッシュ完了。また走り始める。実際には解説は読まずに、先を想像しながら運転した。9時すぎ、Nuernberg すぎたところでエスプレッソとガソリン。

想像する間もなく、ものすごい豪雨になってしまった。しぶきで道路が見えない。それでも他の車は150km/hくらいで飛ばしていく。他の車のテールランプを追った方が走りやすいので、私も120km/hくらいでついていく。

10時、生きて帰れた。かなりびびった。


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