やっぱり演出がちぐはぐだ。両手の平を垂直にあげて、ちょっと待てのポーズ、イギリス人がやるかなあ。Kasper Holtenの演出な気がしてならない。Keenlysideはそんなでかいジェスチャーしない気がする。
メイキングではまさに、Keenlysideがオネーギンはそんな反応しないと思うと言ってて、Holtenが「嫌、若いんだから!」とか主張してた。でもKeenlysideのオネーギンはやっぱり達観してるから、ところどころ感情的になるのが似合わない。逆にKeenlysideのいつものくせで無駄にウロウロ歩き廻るのが、Holtenのダンスみたいに計算された登場人物の動きからはずれている。タチヤーナ(Krassimira Stoyanova)は言われた通りやってるのか、予定調和な動きしかしない。Keenlysideだけが浮いている。。。
ミュンヘン演出の方がよかった。オネーギンは物語の設定よりはるかにおっさんだったが、小娘に好かれて戸惑い、妹と踊って、友人に怒られて戸惑い、殺してしまって、絶望して、逃亡して、再会したら美女になってるじゃん!という感情表現が完璧だった。
レンスキーはよかった、と思ったらミュンヘンと同じ歌手。Lucrezia Borgiaでも好演してたテノールだ。