2006.8.19: プラハIAU国際天文学会8

プラハは明日までの予定だったのだが、まだ見るものはいろいろあるが、こんなクニにもう一円も落としたくないので、一泊キャンセルしてミュンヘンに帰ることにした。

夕方5時15分の電車にのると、ミュンヘン着が夜の11時半、電車はあるがバスないので、研究所のゲストハウスに泊まることができない。ぜっとんにメールを送って頼んで、泊めてもらうことにした。

朝、久々にゆっくり眠っていいのに、6時半にめざめてしまう。そんなに早く帰りたいのか>自分。さっそくパッキング。7時半に朝食。

チェックアウトの前にメールをチェックしようと、研究会会場に行くと、理論部の西合さんに会ってしまった。レンタカーを借りて、この間話していた、カレルシュタイン城に行くという。

よろしければどうぞといわれれば、断ることはできない。午前中に出発して、彼らはその後にクトナー・ホラにも行くというから、私は途中でおろしてもらえば、5時15分の電車に間に合うだろう。

だってカール4世の城ですよ、あのルクセンブルグ家の。一度王様リストを作ったことのある者なら、その劇的な出現を忘れることはできまい。カール大帝から脈脈と連なる王位が途絶え、大空位時代を経て、跳躍選挙の時代に至り、あのハプスブルク家と王位争いをし、対抗馬になるのかと思いきや、あっさり三代で途絶えてしまった、あのルクセンブルグ家の!

待ち合わせは10時にIP Pavolovaのマクドナルド。まだ9時前なので、これからホテル戻ってチェックアウトして、ちょっと寄り道してからでも間に合う。

と思っていたが、隣に座ってきたのがRBで、聞きたいこともあったので話しかけたら、延々議論が続いて、9時半をまわってしまった。RBって嫌な奴と評判で、論文もそんな感じで、たしかに自己中に喋り続けるヘンな奴だが、意外と親切だった。

ホテルに戻る時間はなく、そのままIP Pavolova。他の人々がきて、うちのホテルでレンタカーが借りられそうだったので、一緒に行くことにする。人々がレンタカーをかりている間に私はチェックアウト。荷物を預けて、すぐそばのレンタカー屋へ。11時には出発できた。

が、高速にのるためにプラハの町に入ったら、抜けられず小一時間さまよう。高速のってからも一度道を間違えて戻る。などして、城に着いたのは午後1時になっていた。停めた駐車場からは城はみえなかったので、バスで送ってもらう(100Kr)。

バスをおりて坂をのぼるとすぐに城が見えてきた。・・・いい! そういえばゴシックの城というのはあまり見たことがない。山の上の城といえば、いわゆる中世の城のロマネスクか、きらびやかなルネサンス。

ここは最初の門からもうずーっと尖塔アーチ。壁という壁はみーんなギザギザ、黒い屋根の裾は緩やかに広がり、そして頂上には剣のような鋭い尖塔。中庭からのこの威圧感を見よ。

カレルシュタイン城 Karlstejn

例によってチケットカウンターの前は行列で、ツアー1と2って何?などと話しながら待つ。先にパンフレット(50Kr)と絵葉書を買っておく。1時40分のツアーにいけるかと思ったが、2時40分のになってしまった。・・・それは、まずいのではなかろうか。遅かったら私は行かないと言っておけばよかった…。

ツアーの前に、階段をおりて、井戸をみておく。この手の軍事施設の城には必須の、100メートル級の深い井戸。そこからの城の眺めが最高であった。

かーっ、美しーっ。左の白いのが大塔、中央が聖マリア小塔、手前の茶色のは城主の家。

1348年から55年までに大部分が完成。1378年のカール4世の死後も息子ヴァーツラフ4世は訪れたが、1421年のフス戦争で荒れる。1436年に弟のハンガリー王ジギスムントがチェコ王になると、王冠などチェコの財宝は戻されたが、帝国の財宝はウィーンに残る。1579-97にルネサンス式に装飾される。

1618年三十年戦争の頃、皇帝フェルディナント2世が城を売っぱらうが、レオポルト1世の未亡人エレオノラ・マクダレナが買い戻し、のちにマリア・テレジアに渡り、1755年、彼女が貴族婦人局に寄贈する。1812年、訪れた皇帝フランツ1世が城の修復を命じ、1887年から始まる。ルネサンスの飾りはとっぱらわれ、中世の城に戻された。

とりあえず近くのカフェでソーセージの昼食。

2時40分から城内のガイドツアー(220Kr)。ガイドのおばさんは訛りの強い英語で一方的に喋り続け、写真撮影は禁止!と何度も何度も叱りとばす。その言い方がムカつくので、余計撮りたくなる気持ちもわからんでもない。

「祖先の間」、家系図の壁画は傷んで、いまは肖像画がかかっている。

「宴会場」を覗く。そんな広くない。カール4世、父ヤン王、子ジクムンドの肖像画がかかる。よさげな家具や食器がおいてあるらしー。

「謁見の間」、壁と天井に鏡板、正方形の茶色の木板が並べられている。木はオリジナルが多いらしー。王座は今はないが、二つの窓の間にあって、王からはよく見えるが、客からは見えない構図になっていた。

「皇帝の寝室」、寝台はなく、暖をとるための緑色の布(複製)がかかっているだけ。大理石の聖母像と二枚折りの聖画があった(オリジナル)。

「司教団の住い」を覗く。手前にテーブルセット、正面に17cの木彫りの戸棚、その上に哲学者の絵画が4枚、左の壁に十字架像(1420頃)。

「騎士の間」、戸棚には武器が入っていたらしー。奥は半円形に突き出し、礼拝堂になっているが、壁画はほとんど残っていない。両脇にかかる十字架磔刑の絵は、どっかでみたなーと思ったら複製で、オリジナルは St. Agnes 修道院にある。昨日みた!あれはよかった!でもなんだこの子供の落書きみたいな質の悪い複製は。

「廷臣の間」あれ、記憶なし。城の模型とフレスコ画の切り取りが貼ってあった部屋かな? 天使を描いた青っぽいフレスコ画は美しく、この部屋にあったものとは思えず、混乱していた。他の日本人観光客に、「お城(の内装)ってこれしかないんですか?」と尋ねられ、「古い城だから」と答える。きらびやかなの期待するならバロック以降のに行かないとダメだよー。

いったん外に出て、聖マリア小塔の外壁についた木の階段をあがる。

二階に「宝器の間」、色紙の金でつくったような超ちゃちい王冠のレプリカ、カール大帝の肖像画のレプリカ、などが飾られる。ガイドのおばさんが終了の挨拶。あ、れ、これでおわり???

またチェコ人にやられたとはわかっていたが、わざわざガイドのおばさんに、ガイドブックの写真を見せて、「これは見られないのですか?」と不満げに言っておく。

この三階には聖母マリア教会と聖カテジナ礼拝堂、隣の大塔には聖十字架礼拝堂がある。美しいフレスコ画に囲まれ、写真は有名だ。が、「ツアー2(要事前予約)」でしか見られない。

チェコでは、いいものは決して見せないの法則。混むから、の理由だけとは到底思えないほど、徹底して、一番いいものだけ見せない。そして見せないという事実は、できるだけ隠される。ティン教会の中とか、プラハ城のよさげな礼拝堂とか。

お金を払っても、時間をかけて並んでも、見られない。単にケチなだけなのか。見たければ、レートがあがった時にまた来いという戦略なのか。そんなことの連続で、もうこのクニで観光するのは嫌になって、早く帰ることにしたのに。まだ最後にやられてしまったー。

混むなら外からでも、ちらっとでも見せてくれれば、大満足なのにな。それか最初から、有名な部屋は含まれません、と書いておいてくれたら。満足して帰ったら、もう二度と来ないという訳ではないのに。よければまた来るし、人にも勧める。そういう善意のループを、根本的に信じないのだな、このクニのひとたちは。

まだ城の中庭もじっくり見たいところだが、時間がやばい。

ときすでに4時。まっすぐプラハに帰れば、30分とかからないだろう。しかし荷物をホテルに置いてきてしまった。持ち歩く手もあったが、もっと早くに終わって、時間が余ったらまた一人でどこかふらつこうとすら思っていたので、荷物は邪魔だと思ったのだ。ホテルでおろしてもらって、荷物をとって、地下鉄で中央駅まで10分、ううー。でもチェコの列車はよく遅れるから、行くだけ行ってみよう。

急ぎ足で駐車場におりる。たしか2ー3キロと書いてあったが、そんなに遠くなかった。駐車場からはきっちり城が死角になっていて見えず、いかにも遠い気がする。送迎バスを使わせる作戦か。

パンフレットの値段は、山を折りると少しずつ、70Krまであがっていった。行きに歩いてきた人に、最初に高いものを買わせ、山の上で安くなっていれば、そんなに欲しくなかった人も買ってしまう、という作戦か。

振り返ると、山の上に城がどーん。真横から見た姿は細長くてちょっとマヌケだが(左)、この角度(右)のが一番かっこよかろう。記念撮影などしつつ。

4時20分、ようやく駐車場につき、車を走らせる。運転手は既にあきらめている。いやだー、急いでくれー。私が自分で運転していたら、急ぐこともできたのだが・・・

しかも道を間違えた。高速どこー。そして渋滞にはまる。まさか・・・

ホテルに着いたのは5時半。荷物をとって、地下鉄のって、中央駅についたのが、5時45分。電車は・・・いなかった。他の電車もあまり遅れていなかった。 窓口で、他の乗換ででもミュンヘンに帰れないか調べてもらったが、9時45分発の夜行しかないという。夜行は8時間もかかるし、なんか嫌だから、5時ので帰ろうと思ったのに。

それでもチェコにもう一泊するのはもっと嫌。なにがなんでも一刻も早くミュンヘンに帰りたい。

そう思って夜行の寝台を予約しに行ったら、直前なので予約できないと言われる。乗ってから車掌に払えばいいと。うーむ。また立り乗りだったら嫌だ。しかしもうどうにもしようがない。

とりあえず、9時45分まで時間ができた。今日は行けないことを、ぜっとんに伝えないといけない。公衆電話は硬貨でかけられるものがなくて、テレホンカードをおそらく大量に買わないとかけられないようだ。

そうだ、研究会の会場にいけば、メールが出せる。荷物を抱えているし、もう観光する気はサラサラないから、会場いって仕事しよう。と、また地下鉄に乗る。

しかし会場は・・・・・閉まってた。まだ会期中なのに、閉めるのか!? 週末は仕事しないで、観光して、チェコにお金を落とせ、という主旨なのか??

幸い、鍵のかかったドアの前にも、無線LANがきていたので、そこのベンチに腰かけ、膝にラップトップを広げて、メールかく。とほほ。

でももう電池があまりないので、ここで仕事というわけにもいかない。近くのホテルに行ってみたが、ロビーでこっそり充電ってわけにもいかなそうだ。

8時半頃までそのへんにいて、9時前にまた中央駅に戻る。夜になったら雰囲気悪くてちょっと嫌。とっととホームに行く。こういう時の時間がたつのはすごく遅い。

9時半に電車がきて、乗り混む。その車両は二段ベッドで1号車の寝台車みたいで、予約がないと言ったら、車掌らしき人に隣へ行けと追い出された。

隣の車両は三段ベッドで、予約カードの入っていない所を探し、出発を待つ。すると中国人の修学旅行の団体がどわーっとやってきて、先生らしき若い女性が英語で、「この車両はすべて、うちの学校が予約している」予約カード入ってないのに・・・今度は中国人かよ・・・(←そういう問題じゃない)

追い出された先は6人がけのコンパートメントで、ベッドも取れずに8時間、夜行電車に座っていろというのか? まあ、座れるだけ、イタリアの時よりましか・・・。

他にいい所がなくて、カップルらしき西洋人の男二人がいる所に入る。しばらくして、中国系の女の子が一人きたので、ほっとする。

こういう時、なんだかんだいって、善人である確率が高いのはアジア人。習慣的に他人に干渉するから、悪いことがあっても注意してくれそう。西洋人、とくにゲルマン人は、こと自分に都合が悪いと、見て見ぬふりをするから役に立たない。自分が絶対に安全な「ルール」の中ではやたら口うるさいくせに。

途中の駅で男二人はおりてほっとする。中国系の女性と、席を三つずつ使って、足をのばして横になる。しかしじきに西洋人女性二人が乗ってきて、使える席は二つずつになり、足が痛い。大荷物は足元に、小荷物はがっちり抱えて、ちょっとだけ眠った。

朝6時にミュンヘンに着く。地下鉄はすぐつながって、6時半には研究所の最寄駅に着いた。しかし日曜でバスは一本もなく、タクシーも一台もいない。駅から電話をかけてタクシーを呼ぶ。一件目は一台もなくて、別の番号を教えられる。そこは5分で来るといったが、、、

朝の6時半から7時まで、誰もいない駅でじっとタクシーを待ち、なんとか研究所にたどり着いた。ゲストハウスにはすぐ入れて、とりあえず寝て、風呂はいって、ご飯。

ぜっとんに電話したら、研究所のサーバーの不調か、メールは着いてなくて、さっき見て、心配していたと言っていた。やっぱ電話かければよかったな。

「大丈夫だった? 東欧の夜行は、催涙ガス使った物盗りが出るから、危いって言われてるんだよ」

ひえーっ! それきいてたら夜行なんて乗らなかった。おそろしい。無事に帰ってこられてよかった・・・。


目次に戻る  次の日記に行く