2006.7.30: ミュンヘン徒歩観光3

朝食のために日曜でも9時半に起きたが、午前中は物書き。昼食にラーメンをいただき、午後1時半に家を出る。町へ。今日は何をしよう。ミュンヘンの地図を眺めて考える。やっぱこの十字制覇かな?

3時、Odeonsplで降りて、まずはResidenz。Kaisersaalを何とか見られないものか。場所的にはエジプト博物館?の上で、この豪華な階段の先にあるはずなのだが。門は閉ざされている。やはりRezidenz Musiumの入場券を買って、上から回らないと入れないらしい。

Nibelungebsaaleは無料公開しているので、先週もみたが、もう一度じっくり見る。

まずは「英雄の間」で人物紹介(扉の右から時計回り)。

ニーベルングの歌の作者、両脇に物語と伝説の擬人化

ジークフリートと王女クリムヒルト

ギュンターの家来ハーゲン、友人フォルカー、兄ダンクヴァルト

老兵士ヒルデブラントとディエトリヒ

RudegerとEtzel王/ブルグント王ギュンターと王妃ブリュンヒルド

王の母ウタとその若い息子GernotとGiselher

ジークフリートの両親、ジークムントとジークリンデ
「結婚の間」

ジークフリートが凱旋、王達を捕えて連れている

ブルンヒルドが到着、ギュンターは彼女との結婚を母と妹に伝える

ジークフリートとクリムヒルトの結婚

ジークフリートがクリムヒルトにベルトの秘密を教える
「反逆の間」

クリムヒルトとブルンヒルドの口論

ハーゲンがジークフリートを殺す

クリムヒルトがジークフリートの遺体を見つける

クリムヒルトがジークフリートの遺体を前にハーゲンを告発
「復讐の間」

ハーゲンとフォルカーがクリムヒルトを避けている

ハーゲンがディトリヒに負ける

フン族とブルンヒルド族の戦い

ハーゲンが死にクリムヒルトも死にそう
最後の「哀悼の間」は入れず覗いただけ。

Etzel王の伝令がブルンヒルド族の滅亡を伝える

4時、Residenzを出た。TheatinerstrからトラムでKarlspl。昨日は中心地の北部を攻めたので、今日は南部を攻める。Karstorを通ってNeuhauser通りに入る。人ごみを横目にすたすた歩く。

すぐの通りを右折してちょい南下。Herzogspital教会。普通の建物に見えるが尖塔がある。教会はその下を入ったところ。ミサ中だったので後ろから。ほとんど何もない白い空間。

Herzogspital 教会

ちょい東進。Damenstifts 尼僧院教会。ファザード(バロック)で教会だとわかる。1732-35 Johann Baptist Gunetzrhainer 作。

後ろから見る。祭壇はピンク系で綺麗そうだが、戦争で壊滅したらしく、祭壇画、天井画などはモノクロだった。キリストの十字架は残ったもよう。切ない。祭壇の柱はうねうねだ。

Damenstifts 尼僧院教会

ちょい南下。Allerheiligen-Kirche am Kreuz 全聖人教会。茶色の煉瓦作りでかっこいい、と思ったら、Frauenkircheをつくった Joerg von Halsbach 作。1478年頃 ゴシック。現在はウクライナ・カトリック教会。中には入れず。

Allerheiligen-Kirche am Kreuz 全聖人教会

このへんには彫刻をほどこした家もちらほらあって面白い。Asamhofというカフェ通りを抜ける。ここにもへんな彫刻。Sendlinger通りに出る。服飾品の良さげな店があるなあ。もうお金使いすぎなので、日曜日で閉まってるのはよかったかも。

Asam教会。ミュンヘンでは有名な、Egid Quirin & Cosmas Damian Asam 兄弟の。所狭しとゴテゴテ飾り立ててある。ここはにも見た。

天井画は、階段や建物に上ったり、煙に乗ったりして、がむしゃらに天に向かう人々。がんばってその天に辿り着いても、落ちてしまう気がする。ああ、嫌だ。

祭壇もゴテゴテ。黄色のステンドグラスがさらに狂気的な光を放つ。ピンクのうねうね柱はひょっとしてこいつらの発案か?

後陣の彫刻、メインは普通に人だが、周りの天使たちは、顔と羽根だけなのがグロテスク。

Asam教会

ここには長くいられない。5時、外に出る。さすがに人が多かった。今までの他のところにはほとんど誰もいなかったのに。

Sendlingerからトラム18で東進。実はこれまであまりトラムを利用したことなかったが、この路線は楽しいなあ。橋を渡りつつ右にドイツ博物館をみて、左にVolksbad(中はプール)、右にGasteigコンサートホールを通り、Wiener広場。

ゴシック風な茶色の教会の尖塔がみえたので、次の駅で降り、ちょうど来たトラムで一駅戻り、それに向かって歩く。

St. Johann Baptist教会。でかい!町中からもたまに見えていたゴシック風の尖塔はこれだったのだな。

内部、絵、彫刻、ステンドグラス、空間を埋めるまでいってないが、結構ある。まあまあ古いかな。もう閉める時間だというので前まで行けずあまりよく見られなかった。

1853-74 ネオゴシック、ステンドグラスは1903-18でミュンヘンでは珍しく当時のものが残っている。祭壇は白色大理石、内陣は8分の5角形、小礼拝堂もいいらしい。もっとよく見たかったー。

St. Johann Baptist教会

適当にトラムに乗ったら方向がよくないっぽいので、Rosenheimerplで降り、S線でIsartorに戻る。やり直し。トラム18でまたちょい東進、Am Gasteigで降りる。

St. Nikolai教会。狭い。何もない。1315年からある教会らしいが。後期ゴシック様式で祭壇はバロック。まあ、そんな感じ。

St. Nikolai教会

隣のLoreto礼拝堂。中はさらに狭い。両脇にキャンドルがいっぱい並んでいる。これも結構古いらしい。

Loreto 礼拝堂

外壁に続くキリストの受難の絵がなんかいい。陶器ででてきるのか。ここも閉めると言われよく見られなかった。「運がなかったね」「いやでも見た」「それはいい!」独語切り返しができたぞワタシ。

トラム18でIsartorに戻る。別の乗り場からトラム17、7分ほど待つ。トラム乗り出してから、ずっと待たずに乗れていたのだが。Lehalまで行くはずだったのだが、Mariannenplにも教会があることに気づいて降りる。

St. Lukas教会。いつもぜっとんちに行く時に車で通る道で、何度も見ていたが入ったことはなかった。まだ中に入れた。

でかーっ。こんなバロック風のドームいっぱい方形だとはしらなんだ。外観はロマネスクにルネサンス風のドーム・・・あれこれ、ルネサンス風?

でも中は飾りが少ない。いやあるけど、広いからまばらに感じる。ステンドグラスは祭壇にはあるが、三方にあるバラ窓にはないのが惜しい。

St. Lukas教会

ついでにMarian橋でイザール川を渡る。なかなかよい散歩道ではないか。右手にドイツ博物館、Volksbad、St. Johann Baptist教会がみえる。左手には黄色いアルプス博物館。

中州を越えると、砂利の上に水着の肉体がごろごろいっぱい寝そべっている。水族館のアザラシのようだ。川の水は浅くそんなに汚くもないのか、泳いでるというか水浴びしている人もいる。海のないドイツ名物池泳ぎは私もやったが川泳ぎはまだなのだ。

橋を渡りきってひきかえす。ここからのSt. Lukasの眺めが美しい。いいところに作ったなあ。

トラムの駅まで戻るのが面倒だし、道の先にマクシミリアン2世像(在位1848-64)もみえているので、そのまま北上。Maximilian通り、西はオペラ座、東は州議会に至る。

さらに北上して、二股の道を左に進み、教会の鐘の音に誘われて、St. Anna教会。これもでかい。中に入る。

内装は新しそうだが、古いスタイルを踏襲しているもよう。祭壇が金ピカ。両翼の副祭壇?もいい。天井画はなし。7時でミサが始まったので外に出る。

調べたところによると、1887-92 新ロマネスク, コンテスト優勝作品。おお、私のみたてもずいぶん確かではないか。

St. Anna教会

道向かいの修道院。外観はシンプルだが、内装は予想外にすごかった。装飾びっしり。なかなか綺麗。今日の一番はここだな。祭壇画もいい。ここもピンクのうねうね柱。

えー、1727-30年 ロココ Johann Michael Fischer 建設, Asam兄弟 & Johann Baptist Straub が装飾。もうこいつらのものはわかってきた。

St. Anna修道院教会

よし、これで本日のメニューは達成した。LehalからU線に乗り、Odepnsplで乗り換えて、ちょうどGarching行きが来て、7時40分に着くが、例によってバスがいないので、さらに20分待つ。

8時。バスを降り、アイスを食べながら、のろのろ歩いて帰宅。すぐにこの日記をかいた。さて、夕食をつくろう。


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