2012.8.8: 「野分」夏目漱石

高柳君が偶然に出会った駅で
「先生」
「何ですか」
「さっき、車屋から突き飛ばされました」
「そりゃ、あぶなかった。怪我をしやしませんか」
「いいえ、怪我はしませんが、腹は立ちました」
「そう。然し腹を立てても仕方がないでしょう」
泣いた。

道也先生は言う。
「先例のない社会に生まれたものは、自ら先例を作らねばならぬ。束縛のない自由を受けるものは、既に自由の為めに束縛されている。この自由を如何に使いこなすかは諸君の権利であると同時に大なる責任である。諸君。偉大なる理想を有せざる人の自由は堕落であります」
「凡ての理想は自己の魂である。うちより出ねばならぬ。」
「諸君。理想は諸君の内部から湧き出なければならぬ。諸君の学問見識が諸君の血となり肉となり遂に諸君の魂となった時に諸君の理想は出来上るのである。」
「諸君のうちには、どこまで歩く積りだと聞くものがあるかも知れぬ。知れたことである。行ける所まで行くのが人生である。」
「社会は修羅場である。文明の社会は血を見ぬ修羅場である。」
「理想は人によって違う。吾々は学問をする。学問をするものの理想は何であろう。」

イギリスは、天気も悪く飯もまずくどうしようもない国だが、学問をするのがよいことだとみなされているのがよい。日本で、学問が評価されないのは、明治時代から変わらないのだなあ。維新の時には学のある人が尊敬されていたはずなのに。今では龍馬なんて学のない人間がもてはやされていたり。どんな企みだ。

道也先生は、自分が人より高い平面にいるのなら人からの評価を得られなくてあたりまえ、とも言っているんだけど。


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