「君が代」を、なにがなんでも歌わせようとする学校と東京都の異常な、だけど現実の、話。どこからどうみてもおかしくて異常。されどいまや、デフォルメでもコントでもなく、現実。笑えないって。
年代高めの客層からは笑いがおきていて、現実を理解しているのか、かえって不安になった。あんたらがそんなじゃ、ほんとにまた戦争おきるぞ。
ああもう、どっからどうみても、日本って国は、ダメだね、異常。あたしゃあ、オーストラリア人になるから、もう、しらんけど。
近藤芳正がうまかったのもあるけど、憲法19条内心の自由に従い、不起立を決めた日本史の先生の叫びだけが、正常で、至極あたりまえのこととしか、私には思えなくて、涙でた。
永井愛がこの題材の脚本を書いたという事実だけが、唯一の救い。
だけど・・・「書く"女"」もそうだったが、「歌わせたい"男たち"」が男であり、主人公が女である論理が、描かれていなかった。この作家の知性の限界なのかなあ。
直感では絶対に女なんだ。だからそういうタイトルをつけたのだろう。
だけど、歌わせる女="男たち"に自ら属する女、こそ偉くなり、偉くなれるのはそういう女だけなのかもしれない。ここが重要な問題なのだ。
60年前と今との最も大きな違いは、"女"が社会に進出しているという点にある。その"女"に戦争を止める力が与えられているのならば、同じ空気にまっすぐに進んでいる今の日本でも、違う結果に至ることができる。
では、戦争を止める"女"がいたとするならば、どんな女か?ピアノを弾かない女か?ジャズを歌う女か?眼鏡かりたさに機嫌をとる女か?
永井愛は、ジャズを歌うだけの女だ、と思って、ちょっと、勝手に、がっかりした。